フェミニズムに呼応する男性間のミソジニーに階級格差があるという概念は、ユートピア作品における「外部の内部化」という考え方に適応できると考えた。
ここでいう外部はユートピアの犠牲者、内部は居住者にあたる。ユートピア作品において、両者の居住空間は二分される。典型的な作品は『すばらしい新世界』『わたしを離さないで』などであり、居住者の社会の中に保護区として犠牲者の居住空間がある。
居住者による犠牲者の扱いはたいてい無視や軽蔑、迫害であるために犠牲者は外部化されているように見える。しかし、居住者は犠牲者を迫害できることをステータスとして居住者間での権威を保っている。居住者間での立場が弱い人ほど犠牲者との距離が近くなりやすい。
ここに犠牲者の台頭が起きたとき、犠牲者への配慮や支援ができることが居住者のステータスへと変化する。今までどおり犠牲者を迫害する人は前時代的であり、金銭的に犠牲者への支援ができない人は非難される。もともと存在した居住者間の階級格差はヘゲモニーの変化によって前景化される。
このように、居住者が自身のステータスを誇示するために犠牲者を利用している場合、犠牲者の台頭はあくまで居住者の優位性の中にあり、居住者の社会に内部化されているといえる。
これをフェミニズムの概念に戻してみることで、新たな仮説が考えられる。
女性は男性間の階級格差を誇示するために利用されており、女性の台頭による男性性のヘゲモニーの変化によって、変化に対応できる男性とできない男性間の階級格差が前景化された。
このような女性の台頭は、あくまで男性が女性を利用する従来の男社会に内部化されており、根本的な解決にはなっていないのではないだろうか。